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    「Dream End」


    「Dream End」
     
    ピアノが嫌いだった。
     
    初めてピアノに触れたのは幼稚園の年長。仲の良かった友達のお母さんがピアノの先生をやっていて、遊びに行っているうちにピアノを習うようになっていった。すごく楽しかった。自分の手から音楽が生まれるというのは、若干5歳の子どもにとって、とてもアンビリーバブルなことだった。
    手をグーにして黒鍵だけを叩く練習。ドレミファソラシドをスムーズに弾く練習。とても音楽とは言えないほど稚拙なメロディーでも、自分にとっては音楽そのものだった。
    それから発表会。あれは不思議なもんで、なぜか年を取る度に"緊張"という感覚を知るようになった。初めての発表会は母親との連弾で、ビデオ見返すと笑えるくらいはしゃいでる。家じゃねーんだぞおいってツッコミたくなるくらいはしゃいでる。無邪気そのもの。でもなぜかどんどん発表会というものに緊張するようになって、結果的に最後の発表会になった中2の時は、初めてミスした。QUEENのBorn to love you、ラスサビ前の畳み掛けて盛り上げるところで、めちゃめちゃ盛り下げるというミス。胸が痛かった。袖に帰って、親に目合わせられないみたいな不甲斐なさも初めてだったなあ。もっかいリベンジしたかったけど、辞めちゃった。たいした理由なんてない。ただただ思春期の偏見からくる"女の子っぽい"からだけだった。いまもしこれ見てる人の中で、ピアノやってる男の子いたら、辞めんでいいからね。ピアノやってる男かっこいいよ。たぶん、周りからめちゃくちゃ冷やかされたりするだろうけど、大丈夫、かっこいいから。おれはそういう冷やかしから、周りにピアノやってるって言えなくなって、ピアノのことも嫌いになっちゃって、結局辞めてしまったから。無理に続けることはないけど、おれみたいな理由では辞めて欲しくないと、嫌いになって欲しくないと思います。
     
    まあ、ピアノは辞めちゃったけど、音楽は好きだったみたいで、テレビやラジオで流れる音楽を片っ端から聴いてた。ORANGE RANGEとかAqua Timezとかものすごい聴いてた。そして、中1の夏くらいかな?高校でみんな聴いてると噂のバンドを、姉貴が借りてきた。それがBUMP OF CHICKENだった。当時出たばかりの"ユグドラシル"というアルバムを、部屋で爆音で聴いてた姉貴の部屋から漏れる音をおれは聴いてた。それがバンドって言うのだと後から聴いた。そこからのめり込むようにバンドという生き物を漁っていった。親父からは昔のロックを教わり、バスケ部の部活ではバンドに詳しかった金子に色んなバンドを教えてもらった。高校受験の勉強の傍らで、バンドに溺れていたから、第一志望に落ちたんだな。間違いない。でも、結果オーライではあったのだけど。
     
    時は少し進み高校。上にも書いたように第一志望は落ちた。塾に3年間丸々通わせてもらって、第一志望落ちたもんだから、なんとも言えない不甲斐なさと、やっと終わった解放感で、受験のあとは変な気持ちだった。ただ、受験が終わったら携帯買ってやると言われていたもんだから、携帯買ってもらえた嬉しさで色々忘れた。携帯がいてくれるだけでもう充分だった。待ち焦がれた携帯、遊びすぎないようにって親がパケ放題(当時のネット使い放題)にあえてしなかった。そのおかげで着うた取りすぎて、一ヶ月目から3万くらいいっちゃったのは良い思い出☆血の気が引くとはまさにあのこと。まあ、そんなこんなで第二志望の高校進学。男子校。男しかいない。昔やっていたテニスをまたやりたいなあ〜なんてノリで見学に行くと、中学時代全国ベスト4とかしかいなかった。見学説明会で隣になったベスト8くんは「このテニス部、見学だけしてみんな辞めちゃうんだよな。おれらは3年間やり尽くそうな!」って言った。おれは「うん!頑張ろうぜ!」と言って、次の日から行かなかった。あの時はごめん。そして、部活はどうしたものかと校内をふらついてると、音楽室から曲が聴こえてきた。RADWIMPSの「トレモロ」だった。つられるように音楽室に入った。生で聴くギター、ベース。そして迫力のドラム。今思えばお世辞にも上手いと言えるような演奏ではなかったけど、衝撃的だった。バンドってかっけえ!家に帰ってもその衝撃は止まらなかった。思い出す度にかっけえ!ってなる。そして、自分もやってみたくなった。次の日、おれは一人で音楽室へ行った。クラスのやつはみんな違う部活だったから、一人で行くのは心細かった。ギターも触ったことがなかったから、ほんとに怖かったなあ。音楽室に入ると、同じ新入生が席に座っていた。先輩に案内され、席に座る。そして前に座っていた2人が振り返って声を掛けてくれた。それが中野ととーるだった。仮入部は少し前から始まっていて、おれは少し遅れた仮入部だったから、おれ以外のメンツはぼちぼち仲良くなっていた。だから、中野ととーるが声を掛けてくれたのは嬉しかった。どこ住んでるのー?なんて話をしていたら、先輩からの挨拶が始まった。色々説明を受け、とにかく必要なのはアコギだった。うちの部活は少し変わっていて、初めの半年はバンドをやらせてもらえない。みんなアコギで音楽を奏でるという基礎を学んでから、バンドに移行するのだ。だから、初めはアコギだけのバンドユニットみたいなものを組む。それもあって、うちの部活出身のやつはみんなギターが弾ける。そして、アコギで4人組を作る、という話になり、ボーカル志望の人ー?なんて話になった。おれは歌うのが大好きだった。部屋でも風呂場でも、暇さえあれば歌っていた。バンドを見てもボーカルかっけえ!ばっか思っていた。でも、手を挙げられなかった。初めてギターに触る初心者ということもあってか、なんとなく一歩引いてしまった。そして、ボーカル志望で中野と横山が手を挙げた。さて、あと1人。「手挙げようかな」なんて思っていたら、ほかの部員が手を挙げた。それがとーる。とーる!!??そう、とーる。とーるは初めボーカルだったのだ。彼的には誰もいなくて話が進まないようなら、という意図もあったみたいだけど、とにかくとーるがボーカルになった。そしておれは横山がボーカルを務めるバンドへ。でもどうしても歌いたかったおれは「おれハモりやる!!!」といの一番に手を挙げた。無事、ハモり担当へ。そして、他のメンバーが黒木と中西だった。多摩川で連絡先聞いたよ!と言ったら、黒木に思いっきりシカトされた事件もこのあたりである。ただ、必死にアコギを覚えるおれの姿に感動したのか、そのへんから黒木がギターを教えてくれるようになる。だから、実はおれにとってのギターの師匠は黒木だった。全部、黒が教えてくれた。そしてまた時は流れ、いざバンドへ。やっとバンドだ。各部員で、組みたい人とバンドを組む。そして売れ残ったのが、おれと舜と大地だった。いわゆる落ちこぼれ3人衆。そして他のバンドだったのに、喧嘩したかなんかではみ出てきた遠藤も加えた4人が初めて組んだバンド。独特な悲しさを抱きつつ、それでも補欠とかないのがバンドだ。みんな音を鳴らす権利がある。だから、もちろんおれらもスタジオで鳴らした。気持ちよかった。初めてのコピーはGreen Dayの「Minority」。とにかく楽しかった。うちの部活は変わってたから、すぐにオリジナルを作って大会に出せ、という流れになる。そこで作った曲が大会の一次審査に受かった。黒のバンドも、とーるのバンドも、先輩のバンドも一つ以外みんな落ちたのに、受かった。下克上みたいだった。嬉しかった。落ちこぼれだったから、余計に嬉しかった。そして高3。また違う大会に応募し、決勝まで行けて、審査員特別賞なんかも頂けた。その時におれらを見つけてくれたのが、平元さんという人。おれの音楽人生の恩人でもある。その人が今の事務所のボスにおれのことを教えてくれて、ボスが文化祭までライブを観に来てくれたのだ。そして、ボスに伝えたのが「このバンド解散しちゃうんです」だった。めちゃくちゃ驚いてた。「ただ、また新しくバンドを組むので良かったらそっちも観てください」と伝えたら、それも観に来てくれた。そこからずっと面倒見てくれている。
     
    4人での初ライブは2010年3月24日。青ニ祭というイベントだった。そこからこのバンドは始まった。2012年。大学と並行してバンドをやっていたけど、中々お客さんは増えなかった。大きな原因は一つ。音源を出していなかった。それにいち早く気付いた黒が「音源出そうぜ!」って言った。たしかに!となり、すぐにバイトやらなんやらで掻き集めたお金でレコーディングをして、CDにした。そして、そのCDを出すタイミングでバンド名を改名した。それがHOWL BE QUIET。記念すべき改名一発目は2012年5月5日。下北沢GARAGE。友達もしこたま呼んでパンパンになったGARAGEで祝われながらの初ライブは幸せな時間だった。そしてハウルになって1年。いよいよ全国流通出そう、とボスが言った。もう例えようもないほど嬉しかったなー。やっと自分たちの音楽がCDショップに並ぶ。信じられなかった。夢の始まりだった。
     
    そしてDECEMBER。BIRDCAGE.EP。2枚の盤を出して2015年。松崎さんが一緒にやらないか?と声をかけてくれた。ポニーキャニオン。メジャー。当時のおれらにとっては少し現実離れしたような話で、まずは戸惑い、というか混乱していた。でも、家に帰れば祝杯だ。嬉しさで一杯だった。メジャーデビュー。まさか自分たちがここまで来れるとは。そんな気持ちだった。確かに、夢の上を歩いていた。そして、歩き続けて2016年。いよいよメジャーデビュー。MONSTER WORLDに足を踏み入れた。そこからDAYSというアニメのタイアップをさせてもらったり、初めてのROCK IN JAPANに出たり、一歩一歩確かめながら、歩いていた。そしてメジャーシングル2枚目「Wake We Up」のリリースパーティー。恵比寿LIQUID ROOM。自分ら史上最大のキャパ。SOLD OUT。ソールドでモノを語るわけじゃないし、むしろもっと沢山の人が見れるようにもう一歩大きいハコでもよかったか?など話もしたけど、それでもやっぱりソールドは嬉しかった。そして勢いのままにワンマンをして、打ち上げでも盛大に打ち上がった。バンドとして、一番勢いがあった時期だった。現場では笑ってばかりいた気がする。とにかく楽しかった。"楽しい"そのものだった。そしてその一週間後くらいかな?にあったTOKYO CALLINGというイベントを終えた頃に、当時のベースのはっしーから辞めたいという話があった。バンドというのは自由参加だ。よくボスに言われた。その意味がこの時ようやくわかった。バンドというのはやりたいからやるのだ。逆にやりたくなかったら、やらなくていいのだ。高校の頃に契約がどう〜とか、月収がいくらだから〜とかで、バンドを始めるやつなんていない。みんなやりたくて始めるんだ。だから、その気持ちが途絶えてしまったらそれまでなんよね。とてもじゃないけど、責めるなんてことは出来なかった。話を聞くことしか出来なかった。なんとか上手いこと軌道修正出来ないかばかり考えていた。応援してくれてる人にはなるべく不安とか心配をかけたくなかったから、出来る限り誤魔化した。バレてたらごめんよ。初めはMr.HOLICのアルバムツアーが最後の予定だった。でも、色んなバンドがライブに誘ってくれたら、ラジオ局とかがイベントに呼んでくれたり、嬉しさと、どうしても出たいという思いから断れなかった。今思えば、ずるずるいってしまった原因の一つかもしれないなー。それでなんだかんだで、Mr.HOLICリリースから一年が経ってしまった。その時、バンドとしては一番劣悪な雰囲気だったかもしれない。夢の終わりを感じたのはこの時。もうここまでか、と何度も思った。きっと黒もとーるも思ってたと思う。それでも何度も3人で話して、朝になるまで飲んで、そういう日々を過ごした先で、やっぱりバンド続けたいってなったんだおれらは。だから、ずるずるいくのはやめようって。具体的に時期を決めた。2018年9月。ここが第1章の終わり。
     
    そして第2章。
    2018年10月。下北沢CLUB 251。
    おれらはまたスタートした。動員も落ちた。覚えてる人も少ない。Mr.HOLICからその勢いのままいけたらね、なんてたらればを今でも話す。でも、もう過ぎたことだ。2019年現在ではタイムマシンがないから、どうしようもない。おれらはいまからどうするかしか出来ないんだ。だから、たとえ間違っていても、険しい道でも、泥水すすろうとも、バンドを続けることを選んだ。あんな夜も、この夜も全部越えて、その向こう側へ行こうと今ももがいている。もがけることが幸せだ。やめたら楽になる。当たり前だ。辛いから、嬉しくなるんだ。苦しいから、喜ぶんだ。
     
    夢の終わりにいたって、また夢を見ていいはずだ。
    HOWL BE QUIETは、まだここにいます。
     
    これを見てくれた全ての人に
    「Andante」というアルバムを聴いてもらいたいと
    心から願います。
     
    2019.7.31
    2年2ヶ月ぶりのアルバム。
    「Andante」
     
    どうぞよろしくお願いします。
     
    HOWL BE QUIET
    竹縄航太


     
    〜「Dream End」歌詞はこちらから〜
    https://www.uta-net.com/song/270909/